3◆D3:体外受精を続けるための言葉のチカラ
生理3日目(D3)
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実家とは仲が悪い訳ではないが、むしろ仲は良いと思っていたのだけど…他の家族の話を聞いていると何か違うなと実家にいる頃から思っていた。親に何かを相談したり、家族を思いやるとか、そういうのが欠落していた気がする。東京に出てきてから実家が茨城で近いせいもあり、お正月も帰省する事がなかった。電話もしない、手紙も書かない。周りの子達はしているのに。親からの電話や手紙が届いたという話を聞くと少し羨ましかった。うちも仲が悪い訳ではないのに、どうしてこういう事しないんだろう。←自らもしない事は忘れている
そんな事もあり、友人は家族と楽しく話をするんだなぁ。親は子供を心配して連絡をするものなんだなぁと知った。
オット君の家族も、家族みんな仲がいい。私と付き合い始めて間も無く、お姑さんと妹さん、そして姪っ子と築地でお寿司を食べ泊まりがけでディズニーランドへ行った。
うちは自営業だったし父が和太鼓を教えていることもあり、皆んなが休みの(土)(日)(祝)長期休みなどの時には店を開ける必要がある。父の予定は和太鼓の子供達との予定が優先。と言うのが実家にいる時の当たり前の事だった。その為、家族で泊まりがけで旅行という事をした事がなかったので、家族っていうのはオット君に会いにきてこういう事するものなんだなぁと。お姑さんさんや、妹さんからも悩み事?の電話がきたり。誕生日にはプレゼントを贈ったり。そうか、こう言うのが世の家族なんだと思った。
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しかしながら、自分の家族が嫌な訳ではない。今の自分の形成に幼少期の親の関わり方とかが関係しているんだろうなとか放任主義だった結果が私か。と心理学を学び思うこともあったけど、成人したら親のせいにばかりもしていられない。自分を変えたいなら自分が変化せねばと。できればこういう私みたいな大人に(大人になりきれてないけど!!)ならないように、子供達にサポートして行きたいという気持ちがあって…詳しくはまたいつか書ける時がきたら…
そう、なので親を恨んでいたらという事はない。むしろ親の愛情に飢えていたのか。親への甘え方を知らなかった。それでも感情が爆発して夜中に1人暴れていた時、父が部屋に来てそれを止める訳でもなく、私が落ち着くまで見守ってくれ一言…
「俺の子だなぁ」
人にあたれないから、物にあたるって意味なんですけど(^^;) 賛否両論あると思いますが、本当に怒った時に父は自分の所有物で部屋の中にある一番高いものを壊します。後悔して反省するという…これも今となっては良いんだか悪いんだか、別の発散方法があるんではないかとも思いますが(>_<)
何を言いたいかと言うと、私はその一言がすごく嬉しかったのです。
父に自分の子だって認めてもらえた事なのかな。感情が爆発した原因は父とは無関係だったけど…うちは母にも周りにも、父は男の子を欲していて、暇さえあれば和太鼓の子達と出かけ、幼い頃の父の膝の上には別の男の子がいた。それをいつも羨ましそうに見ていたという話をされてきたからか。(その代わり、別の人たちに抱っこされて皆んなに構ってもらえてたんだよという話も聞いていた。)
これとは別に、日々の父の話す言葉には力があり印象に残って覚えている事がいくつかある。
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そして昨日、体外受精だめだったよと電話したときに最後に言われた一言。
「できるまで続ければ良い」
極論です。
実はオット君に言われたら、お金どうするの!ってなるかもしれないけど、父から言われたときにはスーっと心の中に入ってきた。オット君より距離もあるしね。自分でも分かってる。お金が無制限なら、治療を続ければいつかは授かるんだと信じている。今回だめでも良い卵子と精子が結びついていつか巡りあえるんだって。それがいつかって問題はあるけど。結果的に20年とかやってもダメな時もあるかもしれない(>_<) そんなには現実問題できないけどさ💦
(坂上みきさんは54歳で授かってる!!! (・∀・;ノ)ノ こういう事だってある!人それぞれだなと)
まずは元々の自分の中の区切りとし、7月までは頑張ろうと思う。お金が続くかぎり…やめようって思えて、10年後20年後に後悔しないくらい決断できるまでは。 ここに書いてる今、本当はまだそう思えていない自分もいるから自己暗示を含め…自分に言い聞かせる意味で…
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さて、今日はお仕事お休み。
オット君とお出かけです💕